今日も来て頂きありがとうございます。
努力をすれど結果が伴わない日が続いてます。これは実力が伴ってないからの必然の結果なんですが、それにしても凹んでます。
結果が伴ってないから、じゃあ今以上に努力しよう、という気持ちになるのはわかります。ただ、結果が伴ってないのは、それなりの理由があるからです。闇雲に努力したところで、後日も同じ結果になるだけです。出た結果を受けとめ、それを振り返り、原因を追究する。この過程において大事になってくるのが、如何にその原因を説明できるか、です。説明できないものは理解した事になりませんから。つまり、原因の言語化です。
この言語化という話は、思ってる以上に大事な作業です。日々暮らしていると、それは知っている、分かっているという場面がそれなりにあります。ただ口先だけで、知っている分かっている、と考えてもそれを説明できるかは、相当な別問題です。感覚、知識は説明できてこそ知恵になります。そして我々が獲得したいのは知恵です。
言語化するという話は、実はブログを書くという点で訓練になってます。僕はブログ開始当初は、知識のストックとしてのツール、と考えて始めました。お陰様で、ストックは結構溜まってきたと思いますが、その過程において、文字を興すという作業が知識の再構築になってるな、と感じてます。これは望外の恵みです。
まあ、しっかりと言語化出来てるか、と問われると、まだ満足してない部分が大概なんですが、まずは言葉にするって、それだけでも知識の整理になります。ここで終わりにせず、何度も言葉を直すと、使ってきた言葉が洗練され、更に知識が整理されます。物事の理解の深度は、繰り返し言語化する事により深まっていく訳です。
なんで、分かったと思ってる事を自分なりに説明する、というプロセスが、理解の深度を深めると共に、逆に分かってなかった部分の整理にもなります。物事を掘り下げるとは、言語化によってもたらされるものなんですね。
言語化には他にも利点があります。例えば、感覚として分かってるって、あくまで感覚なんですよ。つまりモヤっと分かってる状態です。これは状態としては不安定です。これを言語化する事によって、言葉として定まる訳です。定まると何が起こるか?心が安定するんですね。しっかりと言葉として残す事が、アンカーになる訳です。自分の言葉が拠り所になる訳です。
知り得る事は日々あります。ただそれを、知っただけでは単なるメモリーの消費なんですね。人間の脳を単なる記憶媒体のみに留めるのは、結構な無駄遣いです。知識を再構築してアウトプットする。それをフィードバックして更に再構築してアウトプットする。この繰り返しに必要なのが言語化です。アウトプットを洗練させた先に、理解を深めたり、結果が出たりする訳です。言語化するってそこまでの力があります。
と、言語化の話をしましたが、言語化の言語化ができているかは、現在の僕にはこれが精いっぱいです。説明するって難しいですね。
今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。
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