中国における広さと深さと複雑さについて

中国語
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 今日も来て頂きありがとうございます。

 現在読んでる本にちくま新書、新井一二三「中国語は楽しい」漫画、原泰久「キングダム」があります。別に中国強化期間ではなく、単に被っただけですが、どちらも楽しく読ませて頂いてます。

 新書に関しては、中国語の入り口として楽しそうやな、という単なるジャケ買いなんですが、期待を裏切らず楽しませてもらってます。最初は簡単な文法の話だったんですが、今読んでる部分は中国語史になってます。一口に中国語と言っても、標準語の表し方が今現在でもふらついているらしく(中文とか漢語とか普通話とか)そもそもの標準語でコレを使おうぜ、と謳ったのが実は最近である、という話もなかなか興味深いです。ザっと考えても中華人民共和国が建国したのが、日本で言うところの戦後ですからね。

 キングダムに関しては、前から気にはなってたんですが、気づいた時には相当数の巻数を重ねてまして、これ一から読むのしんどいで、しかもまだ連載中なんやろ、と手を付けるのに逡巡してました。きっかけは雀荘に置いていて、待ち時間に手に取ってしまったからです。噂に違わず楽しいです。人ってあんなに簡単に死ぬんですね。背景から言って当たり前なんですけど。

 中国史の漫画では以前(ベタですけど)横山光輝「三国志」も読んだ事があります。こちらは最後まで読み切りました。1回だけですけど。

 そんな中で感じたのは、中国って嵌っちゃうと一生涯捧げるのは致し方ないのかも、という点です。魅力的という点でもそうなんですが、その魅力が絡めた物を死んでも離さない的な一種の危うさを孕んでいるな、とちょっと怖くなってしまいました。

 まず、国土的に広いが故の魅力です。語学を絡めた話をさせて頂くと、外国語として我々が習う中国語は、本場中国では単なる一方言から選び取られた言語でして、地方に行くと地方方言がそれこそ無数にあります。同じ中国人でも、場所によっては対人で会話が成り立たない事もあるそうです。使用言語って人のコミュニティーと切っても切り離されない部分もありますが、単純な国土的広さも影響があると思います。

 そして、歴史的深さです。中国四千年の歴史(こういう言い方がなんかおっさんチックですね)とはよう言ったもので、中国全土と統一するまでも大概ですが、統一後もハッキリ言って大概です。歴史的一部分だけ見たとしても、魅入られる部分はふんだんにあり、それに絡み取られてズブズブになるのが、ちょっとだけ足を踏み入れた僕ですら容易に分かります。横山光輝がバイブルとなり、キングダムが今もなおあんなに面白いのには、多分に素材が良すぎるからです。

 この広さと深さに輪をかけるのが、中国そのものの複雑さです。言語的にも歴史的にも地理的にも、単に絡んでる人が佃煮にしても有り余るくらいいる訳です。単純な1対1でも複雑さは存在しますが、それが無数(と言うには憚られるくらい)いる訳です。人によっては、あまりにも複雑すぎてもう嫌や、と思っても仕方がないくらい、把握するのに骨を折ります。でも、分かっちゃうとこれも深みに嵌ります。複雑さとは一種の底なし沼です。

 まあ、中国を知るのは楽しいんやろな、とは思います。それは、何かを知るという点ではどれも一緒なんですが、一度嵌ったら死んでも離さない一種の中毒性が中国に関するものにはある、と楽しく恐れてます。

 その一部分としての中国語の勉強を考えてる訳ですが、余りにも周辺情報が面白過ぎるんで、中国語そのものをいつやれるのか、という懸念はあります。まあ、今やってる事(英語とか)から離れられないという部分もありますが、中国語はやりたい、と考えてる手前、変な焦りみたいなものはあります。

 何にせよ、中国は色んな意味で危険ですよ。一緒に嵌ってみませんか?

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。


中国語は楽しい ――華語から世界を眺める (ちくま新書)

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