潜る事を厭わない

未分類
この記事は約2分で読めます。
スポンサーリンク

 今日も来て頂きありがとうございます。

 このブログにしてもそうなんですが、僕の言ってる事は基本的に思い付きです。一つの事を論理的に深めていく、という作業は、結構苦手です。なんで、お気づきでしょうし、自覚もしているんですが、発言が軽いです。

 僕の性分の話になるんですが、大体において広くて浅いです。だから、色んな話がポンポン出てくるんですが、何かに対して深く考えたり話したりする、という点は、どうも上手くできません。やろうとしても、もっと深く潜れるところを、適当に切り上げて掘り下げない事が大概です。色んな意味での体力的な問題と考えてます。

 なんで、ある事を深く掘り下げる事、ロジックを重ねる事、一つの分野にトコトン嵌る事、というのをやらなければあかんなあ、とはそれなりに前から考えてはいます。色んな事を知る事は、それはそれで有意義ではありますが、僕の中での今の課題は、深さです。

 「深さ」という点で、思い出したエピソードがあるんで、ちょっと書いておきます。僕は将棋が好きなんですね。とは言っても、将棋を指す訳ではなく、完全に観る将です。囲碁棋士もそうなんでしょうけど、少なくても将棋棋士って、面白い方々ばかりです。将棋自体を見るのも面白いですが、単なる棋士の話も結構面白いです。

 その将棋の話で、羽海野チカさんの「3月のライオン」という漫画があります。その中のエピソードで、(ある登場人物が)先の手を読む事を、ある程度しかやらないけど、他の奴らはもっと先を読む事を恐れない。だから僕(その手をある程度しか読まない人ですね)は、あいつらが怖くもあるし、羨ましくもあるんだ、というモノローグがありました。話の内容から、お前も潜ればええやん、と思われるかもしれませんが、手を読んで帰ってこれなくなるのが怖い、とも言ってるんですね。

 それは強迫観念や、と思われるかもしれませんが、何かを深く掘り下げる事って、潜り過ぎて戻ってこれなくなったらどないしよう、という恐怖が、僕の中ではあります。戻ってこれない事もそうですが、潜る事により、自分の位置が分からなく事が怖くもあります。むしろ、そっちの方が恐怖です。

 とはいえ、行きついた先に見える事もある訳で。行ってもいないのに、恐怖ばかり募るのは、我ながらいかんなあ、と考える訳です。未開の地に行く事の楽しさは知ってる筈なんですから。

 広く浅くもいいのかもしれませんが、もっとディープな事を堪能する事も必要なんやないか。迷う事を恐れずに、もっと掘り下げていこう、と考えた今朝です。探求したいんやったら探求し尽くせばええねん。という話です。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました