他己支持への跳躍

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 今日も来て頂きありがとうございます。

 今回は自己研鑽に関するあり方論です。こういう考え方もあるよ、程度の感覚で読んで頂けると幸いです。

 僕は今も昔も自己研鑽というのが好きです。自分で課題を見つけ、地道に積み上げ、成長を実感するのが結構というか相当好きです。幾つになっても成長を実感するのはいいもんですよ。

 なんでごくたまにですが、成長を目にした自分を見るのが好きだったりします。筋トレに励んでいる人が、自分の身体をじっくり見るように。自己研鑽って響きは良いですけど、世の自己研鑽に励んでる方々は、大概は成長している自分を見るのが好きだからやってる部分はあると思います。少なくとも僕はそうです。

 そう。自己研鑽とは自己と名が付いているので、多分に自分中心だったりします。こう書くと語弊があるかもしれませんが、僕は自己研鑽する人は素敵だと思いますし、僕自身も、今後ずっと自己研鑽に励む事になると思います。それこそ死ぬまで。僕は自分自身を死んでも未完成に終わる人間だろうと考えているんで。

 自己研鑽に励む事は大いに結構です。ただ実は最近、ある事に気が付きました。自分の力で他人の力の下支えできたら、その人は元より自分も幸せになるのではないかと。自分中心に考えるのではなく、他人に対しても同様に考えて一緒に目標を達成出来たらどんなに素晴らしいんだろうと。

 人の持つ力って、凄い強力やと思います。人がこうと決めて実行する力は、なんだってできると考えています。こんなん動かんやろ、と考えてた事象も、動かすんや、という力が集結すれば、どんなもんでも動いてしまいます。人の力って、皆さんが思っているよりかなり強力です。

 一方で、人独りの力って微々たるもんやな、とも思います。どんなに自分が力を付けても、どうにもならん事は多々あります。それは、動かそうと思ってる事が動くつもりがない場合もありますし、単に自身の力不足だったりします。それでも、自分自身に力をつけたいと、人は自己研鑽をしたり自己訓練をしたりする訳です。

 力に関する二つの相反するように見える事実を話ししましたが、これは別に矛盾してる訳ではなく、どっちも言える事やと思います。こう繋げるとしっくりくるかもしれません。人独りの力は微々たるものだけれど、それが集まるととんでもない力を発揮すると。

 そう。人独りで出来る部分って極々小さいです。それは幾ら力をつけても幾ら訓練しても大して大きくなりません。ですが、それが自分を磨かない理由にはなりません。人は成長しないと死にます。より良い自分、より力を付けた自分になる為に、自分に力を付ける努力を怠ったらいけません。そういう意味では、幾つになっても自己研鑽は必要です。

 ですが、自分自身の為ではなく、他人の力を下支えする力の手助けの為に、自己研鑽をしたいな、と思った訳です。他人がその目標を達成してどう思うかは関係ないです。僕自身がどう思われても(全く思われてなくても)一向に構いません。これから出会う人の力を下支えし、その人の目標達成の僅かでもいい一助になればいい。と考えた訳です。

 以前、とある本で、自己主義で動く人間より他己主義で動く人間の方が強い、みたいな事が書いてあった記憶があります。その時には、それは理想だよね、と考えていましたが、少なからず、自己中心で物事を考え努力してきて、ある一点に達した時に、ようやく他己主義に目を向けられるようになった訳です。知識が腹に落ちた瞬間です。

 僕はこれからも自分を磨き続けます。その時その時足りないと思った事を積み上げていきます。でもそれは、単なる自分の為ではなく、他人の力の下支えの為に、これからも自己研鑽をしていこうと決意しました。

 因みに後日、僕は理学療法士になるべく、専門学校の入試を受験します。この人生のターニングポイントの直前でこれに気づけたのは僥倖です。ベストは尽くしますが、結果はどうあれ(それこそ夢破れたとしても)この気づきを大切に、情熱を燃やし続けたいと思います。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

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