川を上る

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 今日も来て頂きありがとうございます。

 英語の再勉強から6年。未だ思った結果が残せてません。そもそもの再勉強のきっかけが、英語を再勉強する事で、スペイン語の理解も深まるだろう、というものだったんで、その動機からの再勉強は結果を求めるものちゃうよね、とも思うんですが、ここまでズブズブだと、何かしらの結果が欲しいとも思う訳で。スペイン語の再開の目途も立ってないですし、スペイン語以外のも手を付けたいな、とも思ったり。

 自分で言うのもなんですが、勉強してた言語の理解に別の言語を勉強するって、面白いアプローチやと思うんですよ。実際問題、元の言語に戻った際、気づかなかった事も出てくるでしょうし。

 ともかく現在は、英語に血道を上げてる訳ですが、英語は英語で気づきはあれど、決定的なブレイクスルーは起こらず。前に進めてるはずなのに、この閉塞感はなんなんやろ、と考えてたある時、ふとある事に気が付きました。

 それは、大学入試用の英文を読んでる時です。英文の理解は出来てるのに、いざ設問となると間違える、という事が度々ありました。これ自体はいつもの事なんですが、ちょっと原因を追及してみようと思い考えを巡らせた結果、ある事実に気づきました。内容が分かってるというだけで、具体的な根拠が言語化できてないな、というものです。感覚で読んでいるんですね。

 つまり、英文解釈の技術の問題ではないんですよ。文そのものを論理的に読む、というスタンスの問題だったんですよ。これは母国語つまり日本語で論理的に言語化出来てるか、という話だったんですね。そもそもの土台が成り立ってないという。

 言語習得に一番必要な力は母国語力、と相当前に僕自身が書いた話です。僕としては、当然、念頭には置いてた事実ですが、現在の母国語力が、実は自分が思っている以上に足りてない、と思い知った訳です。

 いや昔に比べたら日本語で論理的に考える能力は上がってるとは思うんですよ。ただ過去を振り返ると、当時のセンター試験で国語偏差値23を叩き出した男なんですよ。そもそもが相当なマイナスから始まってる訳です。当時から上がってるとは言え、根本から考えると全然、運用能力は低いうよね、と思う訳です。

 そんな訳で、母国語で論理的に体系化する訓練が、外国語をやる上で必要だよね、と思った次第です。

 ただ、どう鍛えるか、という話は、独学でどうするか、というのは難しいのかなと。ある一定の日本語の文章を読む、というのも違う気がするんですよね。根本が文そのものを感覚的に理解するのは頭打ちだよね、という話ですから。然るべき文章を然るべき論理根拠で理解する、という訓練をしたい訳です。どうするか?

 とりあえず、論理的に理解する、という点で、遠藤嘉基「着眼と考え方 現代文解釈の基礎」という本がちくま文芸文庫から出てるんで、それを読んでどうするか考えたいと思います。例えば、それを読んで、実際に小論文的に書いて、誰かに添削してもらうとか。

 スペイン語を使いこなしたいから、まさか日本語の論理的思考能力を鍛えるべき、に行きつくとは思いませんでしたが、自分でやる事を組んでいると、こういう事はよくある話です。相当回り道をしてるように見えるかもしれませんが、少なくとも自分の中では納得してる流れなんで、この道でアプローチしてみたいと思います。自分の足で自分の作った道を歩む喜び。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。


着眼と考え方 現代文解釈の基礎〔新訂版〕 (ちくま学芸文庫)

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