今日も来て頂きありがとうございます。
僕は、学生時代に迷走した事がありますが、ある程度の社会人になってからは一貫して、自由に振舞えるにはどうすればいいか、というのをテーゼに生きてきました。いくらか制限は当然ありますが、少なくとも、今後も自由に生きる、が僕の中で追求する道だし追い求めたいと考えてます。
その、自由を求める導入と過程を振り返ると、色んな紆余曲折もありましたし、五里霧中の時もあったんですが、少なくとも過去に比べると、随分自由になったな、と実感しています。それは、財政的な自由もそうですが、考え方としての自由が無茶苦茶手に入ったよな、と考えてます。過去には考えられない事柄が、今は楽にしかも多岐に考えられてる、と最近感じてます。
この、考え方の自由、を手に入れる(既に手に入れた)経緯を考えると、大学を卒業して以降、むしろ大学卒業後の方が、何かしら勉強している、という事が大きいと実感しています。齢を重ねて経験した事が今に活きるのもそうですが、プラスアルファで個人的に勉強してきた事が、色々な見識を広め、考えを素早く広範囲に巡らせるようになってます。
リベラルアーツ、という言葉があります。訳すると自由になる為の道具です。モノとしては、古代ギリシャまで遡る話で、要は、コレを理解していれば自由になれるよ、という学問です。なお、詳細は省きます。リベラルアーツを論じる話ではないんで。
そう、ある事を知る事は、人を自由にさせるんですね。学ぶ理由を、試験にパスする為とか、技術を身に着け収入を上げる為に行きがちですが、根本をたどると、見識を広める事で多岐に考えられるようにする事が学問だったりします。
なんで、幾つになっても思うままに学び続けて欲しい、と考えてます。これは、僕が自由を求めているから、という個人的な理由ではなく、自由に考えれる身がどれだけ素晴らしいか、という経験則から言っています。日々気づく事が増え、間違いなく人生を彩ります。学びによって得られるモノは計り知れません。
経験に勝る学びは無い、とも言いますが、座学による学びも学びは学びです。要は、日々何でも学ぶ事はあるよ、という事です。何かを勉強するって、狭義的に形あるモノを手に入れる為に行きがちですが、副産物として自由も手に入れるんやで、というのを、今回言いたかったんで記事にしました。
大丈夫、あなたは自由になれます。
今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。
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