雑草の矜持

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 今日も来て頂きありがとうございます。

 元巨人、ロッテの澤村拓一が今年からボストンレッドソックスに加入しました。僕は結構な赤靴下党(レッドソックスファンの事。著者造語)で、今回の話はそれなりに好意的に受け止めています。ボストンのブルペンにいる日本人って、良いイメージしかないんで。なお背番号は、上原浩治と一緒の19番との事。それが期待に拍車をかけてます。

 赤靴下党にとって上原浩治の存在は、忘れられない存在でして、2013年のワールドシリーズ制覇時の胴上げ投手である事は、赤靴下党じゃない方でも、知られてる事実かと思われます。枕が長くなってしまいましたが、今回は上原浩治のスタンスを元にした個人的な考えの話です。2013年の話は、いくらでも話せますが、ホンマに終わらないんで、今回は(ていうか今後も)ナシで。

 上原浩治を代表する言葉に雑草魂という言葉があります。踏まれても踏まれても成長する、と僕は取ってますが、それ以外にも意味があると考えています。それは、綺麗な花もあるけれど、雑草としての生き方もあるんや、というものです。

 雑草としての生き方。見るからに麗しい一輪の花ではなく、だれかにジッと見られる訳でもなく、ましてや踏まれる事が大概なのかもしれませんが、それでも自分を信じ成長する事。世界一になった人が雑草ではないやろ、と考える人もいらっしゃると思いますが、何度も挫折を味わい、それでも這い上がり目標を達成するというスタンスは、我々でも見習うべき事はあると思います。

 そもそも、花も単なる草も植物である事には変わりありません。そこで、私は薔薇になりたい、向日葵になりたいと言っても、なれないものはどう足掻いてもなれない訳です。だったら、自分の性質やアイデンティティーを知り、自分オリジナルの目標を持って成長していく方が、自分自身にとっても意義を持て、ひいては幸福感も得られると思います。外圧があっても自分を信じ、成長するぞと。

 僕自身、中身にしても外身にしても、映える部分は無いです。特筆すべき能力も無いですし、ましてや何かを成し遂げた事もないです。足りない事ばかりやなと思います。挫折も何回も味わいました。ですが、自分はこう成長したい、その為の努力を怠らないという部分に関しては、他の人よりかはあると思います。まあ、努力という点では、まだまだ足りないとも思いますが。

 その努力の代償として、今後、大きな花を咲かせるかもしれませんが、その時になって「俺ってこんなんやったんやね」と分かればいいだけの話であって、花を咲かせるという点に意識を向けるのではなく、踏まれても成長するんや、という点に意識すればええんちゃうかな、と考えてます。雑草と言ってた上原浩治のように。

 僕自身の話、今後、大きい花を咲かせるかもしれませんし、花なんてイッコも咲かないかもしれません。向日葵になりたいと思ってても、蒲公英程度にしか咲かないかもしれません。もしかして、花は咲かないまま終わるかもしれません。でも、それが努力をしない理由にはなりません。外圧があろうと内憂があろうと、努力を続け成長していこう。僕はそう考えてます。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

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