自分自身で歩くという事

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 今日も来て頂きありがとうございます。

 現在の職場に来て今月で丸3年になります。色々ありましたが、自信を深める事もあり、まだまだ勉強やなと思う事もあり。何より、3年前より明らかに内面が変わったなと実感してます。アホなんは変わりませんが。

 大学卒業から考えると、通ってきた道も(我ながら)特異やな、とも思いますし、現在行きついた先が、大学でやってた事とは全く関係無い所というのが、陳腐な言い方ですが、人の人生なんて数奇なモンやな、と実感しています。過去がそんなんなんで、未来はどんなんなんねやろ、とはたまに考えたりします。先の事なんて誰もわからんのんです。やりたい事は多々ありますけど。

 ただ、曲がりなりにも学生時代から社会人になって、様々な形で社会に従事してきて感じているのは、結局自分の人生は自分で責任を負わなあかんよね、という事です。

 僕の20代は本当に暗黒でした。個人的に暗い事を一杯経験してきましたが、何がそれを招いたかというと、他の人間がそうしているんやから、自分もそうあるべき、という先入観によるものです。外の世界に合わせよう合わせようとして、肝心の自分自身がポッカリ抜けてたんですね。多分、何も分からなくて自信が無かったんでしょうね。決定的に。

 有川ひろ氏が小説家をライブ派とプロット派に大別してますが(因みに僕は、物書きとしては完全にライブ派です)それは人の生き方にも通用すると思ってます。違いは、完全に振り切れる事が無いだけです。ライブ的に感覚オンリーだと先が全く見えませんし、プロットしてもそれ通りに行く事は全くありません。

 僕の20代の時はそれこそプロット的に生きてきましたが、30代に入るか入らないかでライブ的な生き方にシフトチェンジしてから(引きずってる問題はあるとして)大分楽に生きれるようになりました。まあこれも、今の立ち位置から振り返ったからそう言えるだけなんですが、当時、勇気を振り絞って根底をひっくり返した事は、今から考えれば、よくやったよな、とは思います。自分自身は変えられるんですよ。

 勿論、僕の周りの人に助けられた事は、どう表現しても陳腐になるくらいあるんですが、それでも自分自身の生を自分の責任下の元に進められてる、という事は、今まで歩んできた道のりに対する達成感がありますし、今後どうするべきかの指針を自信を持って進めれる安心感も感じてます。

 自分の人生を自分の責任で進める、って人が聞いたら、そんなん当たり前やないか、と思われるかもしれませんが、自分の言葉でハッキリと主体的に生きている、と言える人が、果たしてどれくらいいるのか、と思うと、実は案外いないんちゃうか、と考えてます。他にもたれて生きるって楽なんで。

 その時その時の方向を自分で決めて自分の足で歩く、というのは、時としてしんどく感じる時もありますが、自分の足で歩くからこそ感じる幸運や不運がある訳です。良い事も悪い事も含めてそれが自身生の彩りを鮮やかにさせていくんやと思います。それに気づけて今がある事に、ただ感謝したいと思います。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

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