自己素材で考える。頑張るという事

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 今日も来て頂きありがとうございます。

 最近僕の周りで、お前は頑張っているとか、別に頑張らんでいいとか、頑張る、という単語が行き回ってます。では、そもそも頑張るとは、という考えがグルグル回ったんで、僕なりの頑張る論を話したいと思います。

 まず、僕の現況を話したいと思います。仕事はシフト勤務ですが、週5で定時で(一応)働いてます。それ以外の時間は家事等を除いて、勉強に充てておりまして、現在勉強している項目は

・英語(英語のハノン。オンライン英会話)

・理学療法士に関する勉強(そもそもの入試対策。解剖学等の入学前勉強)

・介護福祉士試験対策(実務者研修込み)

勉強時間的には、仕事がある時は大体2時間前後。休みの時には、些事をこなしたいという願望から大体4時間前後です。なお、ブログに関しては、現在、毎週記事を上げるので精いっぱいです。

 これをどう見るか?職場の人に、仕事以外の時間は何しとんの?と聞かれた時は、大概勉強してます。と答えてます。別に嘘をつくつもりも無いですし。で大概、ホンマよう頑張っとるな、という答えが返ってきます。他人から見たら、僕は頑張ってる人間らしいです。

 では肝心の僕の考えはどうか?正直言いまして、頑張ってるつもりはあんまりないです。仕事も勉強も必要ではあるとは思ってますが、そもそも仕事も勉強もやってる分には楽しくやってるんで、特段頑張ってるという意識はありません。自分の中では頑張ってるって無理してると捉えがちですが、少なくても僕の中では無理はしてません。抜くとこ抜いてますし。

 ここからは僕の考えです。まず、そもそも頑張るとは、あくまで主観的な物の見方なんですね。先に、頑張ってるとは無理してると捉えがち、と書きましたが、どんな分量をこなしても、その人が無理してやってんな、と考えれば、オレ頑張ってるやん、と考えるでしょうし、特段意識せずそれらをやってたら、別にオレ頑張ってへんし、と考えます。あくまで頑張ってるか否かは、その人の主観でしかないんですね。なんで、他人が言う頑張っとるなは、オレはその分量はようせんわ、が意訳です。

 なんで、そんなに頑張らんでいいは、そんなに無理せんで良い、が意訳です。頑張るという単語は、多分に無理するという感覚が付きまとうと考えてます。そこの部分を間違えて解釈すると、無理に無理を重ね、最終的に体を壊す(最悪死に至る)事になります。少なくても、以前の僕がそうでした。身体を壊す(まあ現在もある意味、半壊なんですけどね)って全く以てロクな事がないです。

 そう考えると、他人に頑張ってるかどうかを言われるのって、単に感謝で応えればいいだけで、自分の中で、この分量は無理してやってるか、という視点が大事になってきます。あくまで自分自身が無理してないか。無理してやってると、最終的には破滅します。とかく真面目な人は、これしかやってへん。オレ頑張ってへんわ。という思考に陥り易いですが(真面目かどうかはともかく、過去の僕がそうでした)無理せずに日々やる事をやってれば、こなせる分量も増えてきます。分量を意識できるのは、余裕があるという事です。あくまで大事な視点は、今の自分は無理してやってるか、という点です。

 まあ、頑張れという励ましは、いかにも日本人に対する励ましですよね。思うに、大多数の日本人は、バカ真面目です。無理して事を成そうとするから、事を成す前に潰れるか、事を成してから潰れるんです。先に言いましたが、身体を壊してロクな事はないです。他人が頑張れと言ってきても、まともに考える必要性は無いです。あくまで、その人視点の頑張れであって、その人の頑張れる許容量と言われた当人の頑張れる許容量は違うんですから。

 という訳で、世の頑張ってると思っている方々。全く以て頑張らんでいいです。大事なのは、何をするにも身体が資本という事です。無理せず事は為せますし、そういう方法を考えて実践した方が、何に対しても良いです。と言っても頑張っちゃう人は頑張っちゃうんですよね。本当に無理しないでください。

 とは言え、必要な努力はしますけどね。努力と頑張るは別の意味という事で

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。


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