独学者というより独学マインド

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 今日も来て頂きありがとうございます。

 僕は高校生時代から、基本的に一人で勉強をやってきました。所謂、独学者という奴です。完全にずっとという訳ではありませんし、回り道も一杯してきましたが、今の歳でもそしてこれからも勉強していくんや、という自分の芯みたいなモノは、恐らく独学で色々やってきたからなんかな、と感じてます。

 独学を貫く、コレはコレで自分自身の成長の一助ですし、今まで歩んできた道のりを後悔はしてません。思うようにいかずに歯痒い思いをする事も当然ありますが、ソレはソレです。

 とはいえ、独学素晴らしい、お前もやれ、とは実はよう言えません。いや、独学は素晴らしいんですよ、僕の中では。なんですが、他人に100%薦められるか、と問われると、僕はよう薦められません。

 何故か?そもそもが、僕が学習者として至らない部分がまだまだ沢山ある、というのが1つにあります。あくまで、どう見るか、は主観でしかありませんし、他人がどう見るかは別問題かもしれません。でも、学習というのは、どう思ったところで自分自身の問題ですし、自分自身が学習に関してどう感じるかは、自身独りで感じ解決する類の事だからです。学習するってそういう事です。

 この、独りで感じ解決する、事が肝要で、それを解決する手段として、僕はたまたま自分独りで解決してる、というだけの話なんです。それを人は独学と言う、ただそれだけです。

 なんで、解決手段として誰かに頼るのは、有り得る手段ですし、大概の人はそうやって学習してます。頼れる存在があるんやったら、思う存分頼っていいと思いますし、正直、頼られた方も嬉しいモノなんです。

 ただ、この先生についてたら何とかなるやろ、この学校に通ってたら何とかなるやろ、と依存するのは(依存です)間違ってます。先程も言った通り、学習とはあくまで自分自身をどうするか、という問題だからです。

 なんで、どう習うかの手段に関しては手段としてのみの問題でして、その手段を使うか使わないかは、最終的には自分自身で判断し行動しなければなりません。そういう意味では、全員が全員(学生だろうが社会人だろうが)学ぶ事に関しては自分自身の問題なんですね。マインドの問題です。

 僕はこのブログで方法論に関しても幾つか話をしてますが、圧倒的に大事なのはあり方論だと思ってますし、実際に手を変え品を変え、あり方論に関しては、方法論より多く残してます(具体的な数字はさておいて)手段という技術も大事ですが、あり方を定めるという心があっての技術です。心技体とはよく言ったもんです。

 なんで、独学という技術に関してはよう言えない、が正確な言い回しです。その変わり、各々それぞれの独学マインドは養うべし、とは声を大にして言えます。何度も言いますが、学習とは自分をどうするか、という話だからです。

 そもそも、学習一点の話をしてますが、自立して考え行動する、ってどの場面も大事ですよね。ただ、こと学習に関しては、自立して考え行動する事の訓練にもなると思いますし、僕は独学マインドで行動した事によって、昔に比べれば随分自立出来てるな、とも実感してる訳です。自分自身をコントロール出来てるって、思ってる以上に自分自身に安定をもたらすものです。

 自立する為の学習、その為の独学マインド、というのが今回の話でした。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

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