うら若き青年少女を挫く

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 今日も来て頂きありがとうございます。

 このブログは、一応、マルチリンガルを目指すぜ、という目的で雑多な話をさせて頂いてます(実情は置いといて)そう細々と続けていく中で、色んな方がいるな、と実感してます。その中で、今しがたの学生も、僕の話を聞いてくれているんやな、と感じる事があります。特に高校生。

 僕は高校時代から一貫して独学で知識を積んでいますが、同じように高校生が、同じようなアプローチで目標に対して勉強しているんやな、と感じておりまして、一応それなりの結果を残した(ホンマに大した成果ではないんですけど)オッサンとしては、同じスタイルで頑張っている、という事に、ヒントなり励ましなりを提供したいな、とは思ってます。まあ、目標を達成させる、という点は、老若男女関係ないんですけどね。

 ただ、独りこしらえて努力しているモノとして、チョットした事を今回話しをしたいと思います。

 僕の高校ていうか受験生時代は、目標がある大学に入学する事でした。東京大学に入りたいとか、京都大学に入りたいとか。僕の場合は、もっとヘボい学校やったんですけど。大学で何を学ぶか、という点は、実は後付けやったんですね。僕は数学が好きだったんで、理系で潰しの効く学科に入ろう、といった感じです。

 僕はと言うと、希望の大学に入れはしました。大学在学中も、勉強をするのは好きでした。でも、受験から大学在学時の考えがそんな考え方やったんで、今にして思えば、結構後悔しています。この時に勉強した事は、活きていると言えば活きてはいるんですが、それでも何を勉強するか、という観点が抜け落ちていた事が、今にして時間をある意味浪費させていたんやな、と思います。

 いい大学、という観点もそうですが、いい企業に就職する、も同じくらい危険です。僕はいい企業に勤めた経験はありませんが、考え方は一緒です。入れ物が大事なんではなく、中身が大事なんですね。当たり前と言えば当たり前なんですが。

 中身をどうするか、という観点で考えれば、目標対象が飛躍的に広がります。大学受験の話をさせて頂くと、日本国内の大学に拘る必要性が無くなるんですね。昔、長崎に旅行中に知り合った男に、アメリカの大学(具体名は忘れてしまいましたが)でマスコミ学を勉強している奴に会った経験があります(ついでに言うと、彼は横浜高校の松坂大輔の同級生です)当時、彼が言っていたのは、マスコミ学の勉強がしたかったから、アメリカのその大学だったそうです。今にしてはなんですけど、当時にしては考え方がしっかりしてるなと。

 なんで、今の学生の方々に(僭越ながら)言いたいのは、何を手に入れたいかもそうですが、どうして手に入れたいかも考えて努力をしてもらいたいです。器を意識するのではなく、中身を意識して。まあ、年月を重ねたから言える事かもしれませんが、独学でやれているんやったら、少し立ち止まって考えれば、案外早く気づけると思います。僕はそう信じてます。

 まあ、勉強するという点は、社会人になっても(むしろ社会人になってから更に)続けていかなアカン事ですし、それが出来なくなったら、成長が止まってしまいます。それは死を意味します。誇張ではなくて。何かを得るという航海は途轍もなく波乱万丈ですが、航海自体は楽しいもんです。実感してると思いますが。

 僕は老若男女、洋の東西に関係なく、全ての独学者を応援しています。一緒に頑張りましょう。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

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