効率と言う単語の捉え方

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 今日も来て頂きありがとうございます。

 今回はちょっと単語遊びみたいな話になりそうですが、僕の中で落ちた部分があったんで、シェアしようと思います。効率の話です。

 実は僕は、効率という単語はあまり好きではありませんでした。やる事やってれば、成果は上がるやろ、と考えていたんですね。昔から泥臭い人間だったんですよ。

 ただ、成果そのものを考えた時、効率という単語の違った意味が浮かんできました。

 それまでの僕は効率とは要領の良さと同義でした。あるゴールに対して、如何に少ない労力で済ませられるか、という事です。つまりゴールありきという考え方です。その過程で使う力は最小限にとどめた方がいいと。

 このゴール云々ではなく、持てる力を最大限使ったらどうか、と考えたんです。力を使って効率よくすれば、成果って物凄くあがるやん、という事です。必要最低限の成果に対して労力を削るのではなく、労力を惜しみなく使って最大限の成果を得ようと。その為の効率という事です。

 ちょっと前から、働き方改革だと言って働く時間を削ってね、と言われてますが、僕はちょっと安直なんちゃうかと考えていて、要は(仕事にしろ勉強にしろ)もっと成果を上げなあかんよね、という事なんやと思います。

 そう考えると、泥臭く力を使い続けつつ、如何に成果を上げる為にどう工夫するか、というのが本当の効率なんやな、と落ちた訳です。

 もっともらえるようにしましょう。その為の努力やと思います。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

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