今日も来て頂きありがとうございます。
全く以て今更なんですが、池井戸潤「半沢直樹」読んでます。媒体は、実は文庫ではなく、ましてやドラマでもなく、漫画です。現在、週刊モーニングで連載されてます。単行本の1巻を購入しました。
確かに、面白いは面白いです。流行るなあ、とは思いました。でもまあ、単なる池井戸ワールドですよね。良くも悪くも。池井戸作品は相当、出回ってますが、僕は小説は、下町ロケットしか読んだ事ありません。漫画とはいえ半沢直樹に手を出したのは、本当にたまたまです。心が弱っているんでしょうね。
思うんですけど、最近の小説って、単なるエンターテイメントと化しているのかなと。池井戸潤もそうですが、典型的なのは東野圭吾。単に僕のアンテナに触れてないだけかもしれませんが、所謂私小説しか出回ってないような気がします。
まあ、僕の考えすぎかもしれませんね。例えば、三島由紀夫がリアルタイムで生きていた時に出された作品は、出された当初はその時代のエンターテイメントやったんかなと。三島由紀夫もそうですが、例えば太宰治、例えば森鴎外。
とはいえ、その時代はエンターテイメントだったモノでも、時の潮流に負けずに残っているモノは残っているんです。村上春樹のノルウェイの森の一節で「作者の死後30年経ったものしか信用しない」というセリフがあるんですが、僕の中ではこのセリフが納得する部分はあります。
まあ、何が消えて何が残るかは、当然僕には見えませんが、最近の小説を読んで、先の先まで残る作品って今作られているのかな、とは思います。重量で判断するのは多分違うとは思うんですが、最近の小説って軽いな、と感じます。
何が時の流れに耐えて残るか、という話は、なにも小説に限った話ではないんですが、現在生み出されているモノで、何年何十年先にも残っているモノって何かあるんかな、と考えさせられたりします。まあ、僕がそんな事を思ってても、残るモノは残りますし、消えるモノは消えるんですけどね。
「やられたらやり返す、倍返しだ」すいません、言いたいだけです。今回の取っ掛かりは一応、半沢直樹なんで。
今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。
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