僕の言語を勉強する意味

単なる雑談
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 今日も来て頂きありがとうございます。

 ちょっとまあここ数日立て込んでおりまして、思うように記事がアップ出来なかったのは普通にあかんなあと。我ながらあきません。そんな中で、ちょっと目が開いた事があったんで、今回はその話をしたいと思います。何故現在、英語を勉強してるかです。

 僕はそれこそ昔から細々と言語(今は英語オンリー)の勉強をしてきた訳ですが、あまりにも長い事やってるんで、本来の目的なるものを忘れてしまったんですよね。それは今、TOEICの勉強で食いつないでいますが、そもそも今の僕の状況でTOEICで高得点を取ったところで、具体的に何かが変わる訳でもないんですよ。でも、やってる。さて。

 やったらなんで英語を勉強してるかと言うと、それは単純に色んな人と話をしたいからなんですよ。それこそ友達や家族と話をするように。

 僕は今商売柄、色んな背景を持つ方々と色んな話を聴いたり話したりするんですが、人と人が意思疎通を図れる事の素晴らしさ、と言うのを多分他の人より実感してるのかなと。それが僕が追い求めていた楽しさであり、僕の根底の欲求なんかなと。

 言語を勉強するのも、コミュニケートの手段として言語と言う道具を使いこなしたい。ただ、それだけなんですよ。色んな人と忌憚なく話をしたい。考えを交換したい。もっと単純に、意志疎通した時の快感を得たい。そういう事です。

 だから、元も子も無いんですが、TOEICで高得点を出しても、それだけでは満足しないですね、多分。試験はあくまで目に見える指標であって、試験で問われる内容を勉強する事によって得られるモノが僕は欲しいんですよ。もっと色んな人とコミュニケートしたいから。

 まあ、こう僕が語ったところで、響く人もいれば響かない人も当然います。でも、実はこれはあまり関係なくて、あくまで僕自身はこういう動機がある、という話です。人が違えば求める事も当然違ってきます。大事なんは、何かを求める事の動機とその意味はハッキリしないと、時間などの自己資産を有用に使えれない、という事です。

 まあ今回は、自分のやりたい事が再認識できて、意味を持たせられた、という僕個人の勝手な気づきです。でも、いくつになっても気づける、知るって素敵ですよ。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

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