目的化する事の怖さ

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 今日も来て頂きありがとうございます。

 相変わらず本を乱読してます。それプラスアルファなんですが、最近方々から同じ事を言われたんで、今回はそのシェアをしようと思います。目的についてです。

 色々な切り口がありますが、一応こういうブログなんで、英語を切り口にしたいと思います。なぜ、英語を勉強するのでしょうか?

 僕の場合、主だった理由は、国籍問わず色んな人と交流したい、です。英語という言語を使いこなせれば、単純に世界が広がると思います。ですが、敢えて言います。それって目的としては弱いんとちゃいますか?

 事を起こす時には、それ相応の理由なり目的なりがあると思います。ただ、その事が長引けば長引くほど、理由なり目的なりが弱かったりボヤっとしてると、大概挫折します。何かやってたのに結局やらなくなった事って、その人その人で色々あると思います。これは経年劣化もあると思うんですが、目的そのものが弱くてわからなくなってきた、という事もある訳です。

 更にたちが悪いのは、何かを勉強する事そのものが目的になる場合です。英語をやっていれば、後々何か良い事があるんちゃうの、というスタンスです。何かをやる事が目的になってしまうんですね。

 これは趣味や遊びやったらいいかもしれませんが、残念ながら人に与えられた時間は有限です。まあ、趣味だと割り切るのもアリですが、事を成そうとするのなら、事そのものが目的化したら、いつまでたっても事は成せません。趣味で良いとおっしゃるのなら、それを止める権利は当然ありませんが。

 なんで、目的はハッキリと、手に取るようにリアルなモノであるべきなんですね。その点で言えば、僕がこのブログの頭で言ってる事は、全く以て弱いんですよ。いつの間にか、英語を勉強する事が目的化してしまってる訳です。我ながら、そうやな、とちょっと凹んでます。自分で言っててなんですけど。

 という訳で、英語を、ていうか色んな言語を使いこなせてどうしたいか、というのを、ハッキリとした形で思い描きたいな、というのを今年中の課題にしました。年明け早々に試験を控えてますが、多分これはもっと大事な事です。

 事を目的化するのではなく、目的をしっかり描いて、それを実現する為に行動せえよ、というのが今回のオチです。ベタですが、目的思考は現実化するもんです。それがリアルであればあるほどです。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

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