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相変わらず細々と色々やってますが、その中の一つに、自分にとって仕事とは?今後どう働くか?というテーマで内省的に作業をしています。実は昨年末から始めたんですが、本を読んでは再認識する部分もあり、考えさせられる部分もあり。具体的なアクションに関しては、いつかやるとは思いますが、ちょっとここで考えを整理する為に、今回は書きたいと思います。
まず、いつまで働くか?という点が、実は重要なんやないか、と考えてます。そんなん定年まででしょう、と思わないでください。現在、基本的に定年とは65歳と思っていいと思います。ここで65歳でバッサリ仕事を辞めて、残りを余生でという考えは正直、危険です。そもそもが65歳以降の残りが分かりませんし、平均寿命は確実に伸びてます。よく言う人生100年と考えると、65歳から100歳まで35年です。定年までにその35年間をどう穴埋めするか、を考えているのならいいですが、仕事人生を送っている中での仕事なしの35年間を考えるのは、難しいと考えてます。ただでさえ先の見えない話です。その先の話を考えるのは、不確定要素が多すぎます。
僕はまず、定年は存在しない、と考えます。働ける時に働けるだけ働く。定年という社会的リミットに左右される事なく、稼げる時に稼ぐ。定年後は仕事をしないとなると、仕事における対価は勿論もらえませんし、経済的余裕、体力的余裕が無いのに時間的余裕はある、というのは、思っている以上にしんどいです。
ここで経済的余裕の話が出ましたが、やったらドカンと稼いで、さっさと仕事を辞めればええやん、と思うかもしれません。僕もちょっと前は、その事を考えてました。仕事をしなくてもいいくらい稼げばヨユウでしょうと。
ここで、ザックリとした計算をします。50歳で1億円手持ちがあり、リタイアすると100歳まで生きたとして1年で使えるのは、実は200万円です。2億円やったら400万円ですが、果たして50歳で2億円手持ちにするのは現実的でしょうか。そもそもが、そこまで稼いでいる人が年間400万円しか使えない生活に耐えれるでしょうか。
仕事は自分とその家族の経済状況を維持する為の手段、と考えるのは結構地獄です。お金の為にただ働くのは、それはそれで苦痛なのです。お金の為に定年まで働く、と考えても、定年後もまだお金の事を考えさせられる訳です。やったら、定年というリミットを外し、仕事そのものの考え方を改める方が、精神衛生上良いと思います。
そう、ポイントは働けるときに働きたいだけ働くです。仕事とは、対価をもらう事だけではなく、仕事そのものが自分にとって、ひいては社会にとって有意義であるか、を念頭に置かなければならないと思います。「社会にとって」という事もポイントで、自分でやった仕事によって社会が恩恵を受けている、と知る事も大事です。人間、一人一人がかけがえのないものなんです。
そう考えると、自分がもうええやろと思えるまで社会に関わる、というスタンスで働ければ、息も長くなりますし、満足感も維持できると思います。更に、社会へのかかわり方も、齢を重ねるごとに変わる事に関して、オープンに考えれると思います。
で翻って、僕自身が何をどうやって社会に関われるか?と問われると、まだ疑問符しか付きませんが、少なくても働く事に関しては、以前に比べて真摯に考えれるようにはなりました。実際のアクションに関してもそうですが、どんな力を得たいかも考えて実行しているつもりです。
まあ、そう考えるに至って、行動もせえよ、という話ですが、いい加減なんとかします。
今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。
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