今日も来て頂きありがとうございます。
相変わらず色々な面でチョコチョコやってますが、その中の一つに、仕事に関連する勉強もあります。ここで言う仕事とは、今僕が従事している実業そのものもそうですが、そもそも仕事とは、みたいな話も考えさせられています。
その中で、シゴトという単語の言葉遊びみたいな話を知ったんで、今回はそれに関して、ちょっと話を展開してみようかな、と思います。
「シゴト」という単語は勿論「仕事」とも書けますが、人によっては「志事」とも「私事」とも書けるよね、という話が今回のテーマです。その具体例をつらつらと書かれてましたが、僕の中での捉え方は、仕事は従事するモノ、志事は自分の中のテーマなりビジョンなりを実現するもの、私事はプライベート、です。そう考えると、日常の殆どの時間はシゴトをしてる事になります。
もうちょっと聞いた話を展開させると、仕事を如何に志事させるかが大事、という話も自分の中では引っかかりました。要は、自分のビジョンを実現するよう、仕事を巻き込んでいけば、幸福感が増す、という事です。
まあ、言葉の使い方でどうとでも取れますよね。仕事は仕事として自分自身を成長させていく。志事を追求していき、自分のビジョンを具体化していく。私事を重点に置き、幸福感を得る。しかも、シゴトという言葉の響きが同じなんで、仕事と志事と私事のウエイトは自分で変えられます。日本語はこういう点で便利です。
逆に言うと、シゴトに関しては自主性を持たないといけない、という事です。仕事は与えられるモノで、それをこなせさえすればサラリーが貰える。私事も今あるモノでぶら下がっていけばいい。志事に至っては、そんな事すら考えた事あれへん。となると、自分自身の成長云々以前に、生きている上での幸福感も全然違ってきます。
まあ、こなさなければいけない事と、こなさなくてもそんなに差し支えない事とを切り分けるという考え方も無くはない、とも思いますが、一つの考え方として、人生の殆どの時間をシゴトをまい進する、いつ如何なる時もシゴトで幸福感を得る、というのもアリなのではないか。とまあ、チョット思いました。
そもそもが、自分の中の捉え方次第なんですね。皆さん、シゴトを楽しみましょう。
今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。
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