成長はカーブを描く(と言うけれども)

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 今日も来て頂きありがとうございます。

 7月に受けたTOEIC L&Rの成績表も返ってきて、絶賛英語勉強中です。時間の費やし方はまだ改善の余地はありますが、一時期よりかはやれてるとは思います。

 ただ、劇的に成長しているかと言うと、殆ど実感が湧きません。

 まあちょっとはやれてるとは言え、絶対的な量も質も足りてないんかな、とは思います。「劇的に」が欲しいのなら、普通の勉強だとそりゃ足らないですよ。

 あと、日一日勉強に費やすにしても、分かってきたやん、と思える時もあれば、全然あかんやん、と思える時もある訳で。一進一退という単語は、こういう事を言うんでしょう。

 以前、斎藤一人さんの本で、人の成長は竹に似ている、という事を仰ってました。竹って節と節の間は空洞なんですね。で、節を抜けたら空洞なんでスーッと上に行けて、また節にぶち当たる。この繰り返しだと。

 なんで、同じ鍛錬をやってても日に日にというのは、実はそんなにはないんですよ。如何にして、苦しい時に続けられるか。まあこれは、勉強に限った話ではないですが、わかってても挫ける事が多いのは、僕の性根が貧弱だからでして。

 思うに、なんにおいても以前よりかは出来てるとはずなんですよ。苦しい時もなんだかんだで乗り切れたはずなんですよ。そんな経験をしっかり認識できていれば、停滞してる時も歩みを止めないと思うんですよね。もっと過去を信じていいかと。

 成長は一朝一夕では成せないですし、簡単に成せたらそれはそれでつまらないんでしょうね。停滞も育てゲーの一つのエッセンスと感じ得れたら、それもまた楽しめるんでしょうね。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

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