今日も来て頂きありがとうございます。
先日、国内旅行をしてきました。コロナ禍で、けしからんなど不届き者など国賊などと思われるかもしれませんが、考えていた企画が潰れまくって、妥協に妥協を重ねて実行しました。緊急事態宣言が発令されてない所から、発令されてる場所を通らず、発令されてない場所に行って帰ってきたんです。今のところ、クラスターは起こしてないんで、これくらいは大目に見てもらいたいです。まあ、非難されても言い返せないのは事実ですが、それでもまあ。
今回行った企画は、発案当初は大型企画に対する単なる繋ぎ企画のつもりでした。ですが、企んでた大型企画がどこをどう頑張っても実行出来る見通しが立たないんで、旅行中は「次に旅行するとしたら、何時でどれくらいの期間を使う事が可能なんやろか」と考える事が度々ありました。それでも、旅行自体は楽しめましたが。なにせ、繋ぎ企画とは言え、旅行自体2年ぶりでしたし。
個人的な僕の環境的にも、世間の環境的にも、長い間どこかに漂う事が恐ろしく難しい状況ですが、僕のレゾンテートルとして旅行というモノは、切っても切れないというか、切り離すつもりもないモノでして。何もかも許されるのなら、いつまでも流れていたい、とはこういう状況だからこそ焦がれる部分があります。色んなモノが変わっても、根本はそうは変わらないですよ。
とはいえ、僕が直近で行った海外企画(5年前になります)実行時に感じていたのは、旅行を生業とした人間が少なくなったな、という実感です。その時僕は、アジアを周っていたんですが、僕のような長期旅行者(世間で言うところのバックパッカー)に出くわす事がその前より少なく感じましたし、実際問題、その時のアジアは昔に比べて旅行者に対する優位性が無くなってきたな、と感じたものです。
5年前でそんなんやったんです。このコロナで所謂バックパッカーというのが死滅したんちゃうか、と危惧しています。ていうか、実際に死滅したんでしょう。
そこで思うのは、実際の生涯旅行者はほぼ死滅したにしても、生涯旅行者の魂は絶対に(あまり絶対という単語は使いたくないんですけど、厳然たる事実として、ここは絶対という単語を使います)死滅してないよな、という事です。
どんなに政治的にも、経済的にも、ましてや感染症的にも、人の考えというのは変わらない部分は変わりません。アップデートは必要ですし、時間経過と共にスタイルが変わりもするでしょうけど、個人個人の意識の底(言うなればアンカー)は変わるモノではありません。ここで言うアンカーとは、錨の事です。簡単に変わるモノではないですし、変えようと思って変えられるモノでもありません。そういうアンカーなり芯なりというのがあるんですよ、個人個人。
その旅行者的思考のアンカーを持ってる人間にとって、今はホンマに生き辛いなと感じる訳です。流れたくても流れないですから。そして、流れない事により出来る淀みの存在が大きくなる事に、不安を感じる訳です。これはあくまでも僕の中での感覚ですが。
まあ、旅行気質なんて絶滅危惧種なんでしょうけど、それを持ち合わせている者として、単純になんとかならんかな、と憂いている訳です。結局は願望の話になってしまいましたけど。どうにかなんないっすかね。ていうか、僕みたいな絶滅危惧種は確実に存在すると思うんですけど。
今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。
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