今更、仕事に生きる

新書系
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 今日も来て頂きありがとうございます。

 丹羽宇一郎「仕事と心の流儀」読了しました。仕事そのものの考え方、仕事を通して何を得るか、を忌憚なく話されてました。面白かったです。自分も一応、努力らしきものをしてますが、僕が考えているより努力の絶対量が足りないのは痛感しましたね。

 今回、一番引っかかったのは「アリ、トンボ、人間」のくだりです。これは、仕事の仕方を例えたモノです。若い時にはともかくアリのように働く事。アリの働き方をしていくと、色々な仕事をするようになる、そうなると、アリのように単一の目からトンボの複眼のように、色々な視点が必要になってくる。そのトンボを経て人間的な仕事が出来るようになるんや、というものです。大分、アレンジしてしまいましたけど。

 これはあくまで邪推ですけど、僕と同じ位の年代で、仕事に生きてきた方々は、この話によると今はバリバリのトンボです。それに比べて僕は、汗をかきかきアリをやってます。これは僕が若かった時に、その日暮らしをしてたからです。因みに後悔はしてません。遅早はあるんでしょうけど、時を戻しても同じ手順を踏む自信があります。

 では、僕は人間になれるのか、と問われても、こればっかりはわかりません。そもそも、人間になる必要性があるのか?という疑問があります。まあ、必要性は無いです。でも、人間として働けるとはどういう事か?という好奇心はあります。そう思えるくらいアリはアリなりにやっている、という事です。

 まあ、仕事は楽しいです。俗に仕事に逃げるという言い回しがありますが、コレは上手い事いってるよな、とは思います。逃げれる程の中毒性があるんですよ、仕事には。単に今の仕事が自分に合っているだけかもしれませんが、だからこそ意識しないと簡単にワーカホリックになるよな、とは思います。

 仕事が楽しい、仕事に生きる、とは言ってますが、これは僕が独身だから言える事であって、この状況で仕事を取られたら、間違いなく人生詰みます。なんで、仕事人以外の役割を積極的に身に付けなあかんのんかなと。仕事中毒者が仕事を取られたら、何の人でも無くなるぜ、という話です。

 とはいえ、仕事の話に戻しますが、仕事を全うする事でのみ味わえる感情というものが、やはりあると思います。自分の人生の1つのパーツとして、仕事に力を注ぐ事も重要なのではないか。方法論ではなく本質論を重んじる人として、そう感じた次第です。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。


仕事と心の流儀 (講談社現代新書)

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