語学を勉強するのはマイナーなのか

単なる雑談
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 今日も来て頂きありがとうございます。

 僕は現在、英語を勉強していて、以前はスペイン語も勉強していて、落ち着いたら他の言語にも手を出したいと考えている者です。語学を勉強するのは喜びですし、おそらく死ぬまで何かしらの言語を勉強してると思います。こんなブログも作ってしまいましたし。

 とは言え、語学を勉強するのって、かなりマイナーな事なんかなと考えてしまう時があります。僕が語学をやる理由の一つは、将来的に大掛かりな旅行をする為に、コミュニケーションツールとして知っておきたいな、というのがあります。具体的には、南北アメリカ大陸縦断をしたいですし、ユーラシア大陸を陸路で横断したいとも思ってます。絵空事ではなく、死ぬまでには成し遂げたいと考えてます。

 正直言いますと、旅行レベルやったらそんなに網羅する必要性はありません。今の僕の英語の客観的レベルは、TOEIC L&R650点、英検準1級勉強中です。これが単なる旅行の為だったら、そんなに必要はありません。以前、アルゼンチンに行った時に、ある程度のスペイン語を使いましたが、そんなに苦労はありませんでした。警察との問答(盗難に遭ったんですね)は、さすがにスペイン語では無理でしたけど(英語が使える警官が通訳になってくれました)それ以外では、それなりのスペイン語を使って、苦も無く旅行を楽しめました。

 英語の話をすると、実はそんなに目くじらを立てる程レベルアップする必要性が実はありません。今現在、海外にほっぽり出されても困らない語学力はありますし、そもそもが実生活で英語を使う機会はありません。語学はやり続けたいと考えているんで、他の言語に手を付けても良い状況なんでしょうけど、英語をやってます。具体的な目標を設定した手前、引くに引けない、というのもあります。

 以前ある本で、語学を勉強するのは知的生産ではなく知的消費である、という一節を読みました。単に語学をやるのは、何も生み出さず知るのを引き換えに自己資本を消費する事である、という訳です。この考えには一理あって、語学自体は単なるコミュニケーションツールである事から、使う場が無いと意味ないよね、とも考えてます。

 それでも英語をやるのは、先に言った具体的な目標を達成する為、というのもありますし、将来的に旅行に行くのに苦労しない為、というのもありますが、単純に英語をやる事で見れる世界が広がる、というのが僕の中ではデカいです。それは単に知れる範囲が広がる事もそうですが、一つの言語を極める事で、多面的に考えれるようになる、というのがあります。これは、今まで語学(単に英語だけでも良いです)をやってきた中での経験則です。

 人は多面的に考えられると、自由になれます。これは何も多言語学習だけの話ではなく、それこそあらゆるジャンルを知る事で、多面的に考えられ、自由になれます。リベラルアーツとはよく言ったもんです。僕の人生のテーゼとして、自由であれ、と考えているんで、猶更、多面的に考えれる事が必要命題だったりする訳です。で、その延長線上に多言語学習があるんでしょう。

 そういう点では、人ってそんなに自由に関して厳格に考えてる訳ではなく、語学をやる事にそんなに興味が持てないのかもしれません。求めてるモノが違うんですよ。少なくとも僕は、first priorityとして自由を求めていて、その為に身に着けたいものとして、語学をやってる訳です。語学には実務的な部分もそうですが、その根っこにある感情的な部分ででも人を自由にさせてくれるモノを持ち合わせています。それは、語学をやってて常々感じてますね。

 まあ、やってる事がメジャーかマイナーか、という問い自体が実はナンセンスで、自分がコレと決めて実際にやる事自体が、実は大事なんですね。そういう点では、他人にどう思われようと、僕は幸せではあります。やってる分には全然、大変ではないですし。

 という、語学を勉強している男の単なる戯言でした。共感はされないんやろな

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

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