英語に関するモチベーション論

単なる雑談
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 今日も来て頂きありがとうございます。

 僕の英語学習の最終目標はTOEFL iBT100点です。その為の一里塚として、L&R900点だったり英検準1級取得だったりします。何故か?今目指してる職業で海外で働く為に、その要件を満たすためです。最終目標がiBTなんで、単にインプットを強化すれば良い訳ではなく、アウトプットの質も上げないといけません。

 それもあり、今月に半年ぶりにL&Rを受けるのもあり、他に手を付けなければいけない用件はあるんですが、今現在は、英語学習に花が咲いております。事実として。

 とは言え、実はここ最近、単に英語をやってる感が足を引きずっています。上がるどころかちょっと下げ気味です。やってもやっても充実感が伴いません。

 正直言いまして、事実と感情が相反してます。どうしてなんでしょうか?

 一つ考えたのが、目標が遠すぎる、という点です。今の立ち位置でiBT100点は果てしなく遠いですし、そもそも今目指してる職業というのが、一定の学業を修めて国家試験に合格してそこからスタートするものでして、その一定の学業を修めるが、実は学校にすら通ってない、という所にあると思います。英語のブラッシュアップも大事ですが、実は今一番大事なのは、学校の入試を通す、なんですね。

 ちょっとね、負荷が過多なんですよ、自分で気づいてないくらい。

 英語以外の話はココではしたくないんで、英語を勉強する上でのモチベーションの話をしたいと思いますが、そこそこの時間で達成できそうな強力な目標、というのが大事なんでしょうね。あ、コレは英語以外にも言えますけど。

 今の僕としては、L&R900点も英検準1級も強力な目標ではあるんですが、先ほども言った通り、所詮は一里塚なんですよね。おそらく、一里塚とは言え達成したら、達成感はあると思うんですよ。ただ、まだ先はあるんですよね。

 これは語学をやってたら必ず付き纏う話なんですが、語学を修めるのは実は不可能なんですね。我々は完璧な母国語使いになれないんです(なれません。そもそも完璧な母国語使いという人間は存在しません)ましてや、別の言語を使いこなそうとする訳です。語学学習とは何時だって底なし沼での戦いなんですね。

 なんで、一定の線引きが必要になってきます。このレベルまで押し上げようという。その適当なレベルの選定が難しく、またそのレベルに達したとしても、更に上があり、レベルを引き上げるべきか、そのレベルで満足するかでまた悩む訳です。ハッキリ言って罪です。

 とは言え、目に見える結果、というのはやはり大事ではあります。人間、目に見えないものを追いかけるのは、追いかけてる間に疲れてきますし、迷いやすいですし。結果というゴールが存在するのは、それだけで推進力になりますし。ただ、その欲しい結果が果てしなく遠いと、途中でやる気をなくす訳です。人間はそこまで強くないです。

 色々考えたりはしたんですが、一里塚だろうと最終目標だろうと、まずは目指すべき結果を得てから、その先を考えた方が、多分精神衛生的に良いです。しかも、客観的にこれくらい見られたい、ではなく、主観的にこのレベルまで達したい、という自己中心的に語学学習を捉えた方が、気分的に楽です。

 結局、語学をやるって、自分主導でないと行き詰ります。勿論語学は、コミュニケーションツールですから、相手がいてナンボなんですが、自分の能力を引き上げるという点では、あくまで自己の問題になる訳です。自分自身に我儘になっていいと思います。

 この結果がどうしても欲しい。だからやる。と単純に割り切った方が、実は良いのかもしれませんね。そんなに欲しくないかも、と思ったら、実は定めてる結果が良くないのか、そもそも語学をやってる事が間違ってるか、なのかなと。(その他にもやってるけど)語学に没頭している自分が言うのもなんですが、別に何時辞めても良いと思います。語学(というか勉強そのもの)は自分自身が欲してこそ、楽しいものですから。

 何人たりとも他人に強制はできません。あくまで自己主義で。それくらいのスタンスで英語を勉強するのもアリなんちゃうか、というのが今回の話です。

 今回もお付き合い頂きありがとうございました。


なぜモチベーションが上がらないのか (SB新書)

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