時間に対する当たり前の事

時間の使い方
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 今日も来て頂きありがとございます。

 今回は、日々努力していく上でその時間をどう使うか、という点でチョット腑に落ちた事があったので、シェアしたいと思います。

 自己研鑽をしよう、と考えた際にまず起きる問題は、時間をどう捻出するか、という事です。ですが今回は、捻出方法の話はしません。方法論は幾つかありますが、結局のところ、個人の考え方次第の問題だと思ってます。捻出しようと思えば、幾らでも捻出できます。探せばあるんですよ。

 今回の話は、捻出した時間を如何に使うか、の考え方の話です。使うか、ではなく、考え方の話です。

 時間がそれなりに捻出できるという事実を知ると、無闇にその資源を使ってしまう、というのは、実は結構なエアポケットだと考えます。

 自己研鑽に時間を使っていると、自分の中で成長している実感が湧きますし、それで結果が残せたものなら、それこそ喜びを感じるものです。で、もっと自己研鑽をしようとなります。このプロセスを僕は全く否定しません。成長する実感が生きてる実感でもある訳ですから。大いに自己研鑽に自己資源を突っ込めば良いんです。

 自己研鑽は一種の麻薬です。やればやる程、一種の快感が伴います。なんで、もっと自己研鑽しようとなります。ここでもっと時間を突っ込めば、もっと結果が伴うやろ、と感じてしまいがちです。ココにちょっとした落とし穴があります。

 自己研鑽をやってると、時間を一杯突っ込んだ分、一杯結果が出るよね、と考え落ちる事があります。で、この考え方が短縮されて、時間を突っ込んだら結果は出るよね、となる事があります。段々考え方がおかしくなってきましたね。先に麻薬と称した理由がココにあります。

 つまり、時間(を含む自己資源)を投資すれば、恩恵は大概受け取れる、と感じてしまうのが実は問題だよね、と言いたいんですね。

 自己研鑽はあくまで投資の一種です。で、投資である以上リスクが伴います。多くを突っ込んだから多くが返ってくる、という考え方が実は拙くて、先にリターンを見込んでこそ投資しよう、という考え方が健全なんですね。これを購入すれば必ず見返りがある、という詐欺の話しぶりではないですが、必ず見返りがある投資というのは存在しません。

 なんで、自己研鑽をする上で、無闇に自己資源を突っ込むのではなく、リターンを念頭に置いて自己資源を突っ込むべき、と言いたいんです。

 得たい結果の為に多くの時間を使うのは問題ではありません。寧ろ、早くに結果が出る可能性があります。でも、あくまで可能性があるというだけの話なんですね。然るべき期限までに然るべき結果を得る為に然るべき時間(等の労力)を突っ込む訳ですが、大事にすべきはかける労力ではなく、求める結果なんですね。過程はあくまで過程にしか過ぎません。

 と考えると、単に多くの時間を使おう、ではなく、結果に見合うような時間の使い方をしよう、となります。投資家マインドは何もお金に限った話ではないんですよ。

 最初に言いましたが、時間を捻出するのは、考え方次第で出来ます。その使い方も、ちょっとした考え方が必要だよね、というのが今回の話でした。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

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