物書きとして

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 今日も来て頂きありがとうございます。

 今現在の話なんですが、英語の勉強をしつつ、実は国語、正確に言うと現代文の勉強もしてます。

 何故か?今年の秋口にとある試験がありまして、その試験科目が小論文なんですね。なんで、論文を書く練習をしなければいけません。その前段階という事で、現代文の大学入試用の問題をガリガリ解いてます。質の良いアウトプットをしたいなら、インプットをしっかり血肉にするのが大事よね。というのが、この理由にある根底の考えです。

 現代文の問題を解くのは楽しいです。文章を読む、だけだったら読書で事足りるんですが、その文章を読み、それに対して質問される、それに回答する、答え合わせでフィードバック、までの1セットをこなす事で、社会人にとって実感が湧きにくい日本語の能力が把握でき、次への道しるべが提示されるのは、何より成長の実感が湧くというものです。

 問題集のレベルも別に難しいものでなくて良いんです。僕自身の日本語の能力を認識し高める事が目的ですから。で、そこそこの現代文もやったし、そろそろ小論文対策でも始めようかな、とも思ったんですが、もうちょっと現代文の話を突き詰めてみようかな、と今は考えてます。

 これは今の現代文が楽しいから、という理由からではありません。本来の目的は、先ほど書いた通り、小論文を書いて試験を通す、です。ここが勘所なんですが、実はある事に気づきました。小論文を書くのも一里塚だよねと。

 その小論文の試験を通した後どうするか?時間とお金をかけてとある国家資格を取ります。これ自体は、別に国語力は関係無いです。問題はその後です。国家資格を取り、然るべき職業に就くんですが、それだけでは終わりません。就職後も勉強は必要ですし、その過程で論文を書いたり症例報告も書く事になります。

 この、論文や症例報告を書く、で文章の構築能力が必要になってくる訳です。そう、小論文とは、そこまでの過程の単なる通過点なんですね。もっとも、試験する側にとってはそこまでは考えてないでしょうけど。

 えらい先の話やな、と思われても仕方ないと思います。とはいえ、先の目標もそうなんですが、過去から色々と勉強(特に語学)をやっている経験からすると、根幹となす部分が存在しないと大した上積みが出来ないよね、という事をヒシヒシと実感しています。陳腐な言い方ですが、しっかりした土台が無いと、大したモノはつくれないんですよ。

 まあ、即効性が無い話をしてる、と思われるかもしれませんが、そんな事はありません。例えばこのブログ。

 このブログを始めた当初は、単なるアウトプットの場、としか考えてなかったんですが、細々とですが何年か定期的に記事を上げる事によって、始めた当初より文章を書く能力は上がっていると思います。これは、単に知識が増えたからというのもそうですが、アウトプットの場を自ら作り、それを手放してない事が大事なんだと思います。

 まあ、ブログの記事と論文では書く内容は全く違うんですが、文章を構築する、という根っこの部分は変わらないと思います。そして何度も言いますが、しっかりしたモノを建てたいならしっかりした土台が必要です。文章を構築したいなら、文章の事を理解しないとね、です。

 この現代文をやってる恩恵かもしれませんが、英語に関しても実力は上がってると思います。まあ、直近で数値化はしてないんですが、ちょっと先にあるTOEIC L&Rで最高点を出す確信があります。また、英語の現在の最大目標は英検準1級です。これは英作文が付いてきます。特別に英作文の訓練をしなくても、英文法の力と必要最低限の語彙力と文章構築力があれば、訳はないと考えてます。使われる単語が違うというだけで、文を作る、という点では変わらないですから。

 無駄な努力は全くない、とはよく言ったものです。まあ、効率と費用対効果は考えないといけませんが、やってる事は間違ってないですし、自分自身も引き上がってると思います。これは死ぬまで続く長い旅、と思ってこれからも精進して行きたいと思います。

 今後もこのブログを宜しくお願い致します。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

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