ライティングかく語りき

文庫系
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 今日も来て頂きありがとうございます。

 結構前ですが「みみずくは黄昏に飛びたつ 川上未映子訊く村上春樹語る」を読了しました。タイトル通り、村上春樹氏と川上未映子氏の対談集です。話自体は、川上さんの鋭い質問に村上さんの小説のスタンスがふんだんに語られたモノになってます。対談が行われた時期が、村上春樹氏の「騎士団長殺し」刊行と被っていたんで、騎士団長殺しの話も多く出てきました。とはいえ実は、僕はまだこの小説を読んでないんですよね。いい加減に積読を減らしたいです。

 今回の対談集の中で僕が印象に残っていたのは、書く事によって成し遂げる事がある、という事です。まあ、小説家が話をしているんで、小説自体のテクニックやったり、小説を書き続けるには、という話も結構(ていうか、それがメインです)出てきたんですが、小説だからではなく、何かを書き記す事の有意義性みたいな話は、別に我々でも通じるものがあるんちゃうか、と思えた次第です。

 まあそもそもが(不定期とは言え)こうしてブログを書いて残しているから、書く事は大事やで、とも思えるのかもしれません。とはいえ、自分の言葉を残す事、自分の世界を残す事、自分の論理を表明する事、って自分が思っている以上に大切なんかなと。率先してアウトプットを行ってこそ、得るものもあります。言われるまでもですが。

 正直言うと、書き続ける事って、凄い労力がいる事です。まず、目的無くして書く事はあり得ません。何かを残したいから人は書くんです。次に材料の問題があります。自分の中に引き出せるものが無いと、書いて精製する事は出来ません。そして時間の問題があります。書き残す事そのものもそうですが、時と場合によっては、書き残したモノを加工しなければなりません。

 そんな思いまでしてなんで書かなあかんのか、とも凹む事も当然あります。とはいえ、書く事によって自分自身は間違いなく成長します。よく、書いたモノは残るんで、他人に自分の考えを提起できる、反応してくれる、とそれを読んだ人のリアクションを楽しむ効能に目が行きがちですが、文章を残した後の自分にも、もっと目が行って良いと思います。

 まあ、自己満足で終えるのは、当然の事ながら問題です。見られるという意識を持ち、実際に書き残したモノを見られるからこそ、色んなモノが上がる訳です。自分の中の何かを残す為に「書く」という行為。もっと意識的にやっていければ、自分が思ってた以上の所に連れてってくれるモノやと思います。だったら、もっと記事を残せよ、という話は内緒です。

 今回もお付き合い頂きありがとうございました。


みみずくは黄昏に飛びたつ: 川上未映子 訊く/村上春樹 語る (新潮文庫)

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