それはそれで純文学

文庫系
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 今日も来て頂きありがとうございます。

 平野啓一郎「マチネの終わりに」読んでます。福山雅治、石田ゆり子主演で映画化もされている作品です。平野啓一郎は初見なんですが、楽しませてもらってます。映画も見てみたいですね。まあ映画に関しては、見たいと思っている作品が溜まってまして、消化したいとは思ってはいるんですが、なかなか出来ずにいます。こんなご時世なのに。

 平野啓一郎は芥川賞作家という事で、所謂純文学というジャンルに入ると思います。まあ、何をもってして純文学か、という話は、僕自身分かってない部分が殆どなんですが、乏しい読書経験から、これは純文学なんだろう、と勝手に解釈してます。又吉直樹なんかも純文学に入るんでしょうか。芥川賞取ってますし。「火花」しか読んだことありませんが。

 そんな僕の中での純文学というジャンルは、骨が太い、というイメージです。読むのに難儀しますが、たまには読みたい、と言ったたぐいのものです。あくまで僕の中ではですよ。

 そう考えると、僕の中での純文学って三島由紀夫なんですよ。結構前に「豊穣の海」を読んだ事があるんですが、あれは骨が折れました。分量もそうですが、なにせテーマが考えさせられた作品です。普通に購入して読んだはずなんですが、引っ越した時に無くなってまして。多分売ったんでしょうね。勿体ない。夏目漱石も引っ越しの時に無くなってたのもショックでしたけど。

 そもそも純文学って単語が重々しいですよね。イメージもゴリっとしてるイメージです。他を寄せ付けないみたいな。とはいえ、読んだら読んだでやはり面白い訳です。食べて後悔しないですけど、食ったし暫くはええかな、みたいな。

 思うんですけど、僕が雑食だからかもしれませんが、古今東西、色んなジャンルを読むと、面白いし考えも多岐に渡ると思います。小説の話にしても、推理小説しか読まないではなく、ノンフィクションでも恋愛小説でもそれこそ純文学でも、気になったら読んだらええんですよ。毛嫌いするんではなく。思い切って食ってみたらすこぶる旨かった、という話は往々にしてある訳で。

 まあ、固いイメージはありますが、純文学は面白いなと再認識させらてた次第です。三島由紀夫もまた何か読みたいですし、川端康成も気になりますね。少し遡って、森鴎外も読んだ事がないんで、読んでみたいですし。とは言ってはいますが、実は今一番気になっているのは、カズオ・イシグロだったりします。しかも英語で。

 純文学の話をしてたのに、〆はカズオ・イシグロという。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。


マチネの終わりに(文庫版) (コルク)

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