自由を追い求める

新書系
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 今日も来て頂きありがとうございます。

 井上章一、佐藤賢一「世界史のミカタ」読了しました。世界史を題材にした、両氏の対談集です。この手の本を読んだ後に毎回思うんですが、世界史を題材にしてしまうと、新書一冊では全然足らないですね。容量をボンとするか、中身をキュッとするかしないと、深い満腹感は味わえないなと。まあ、こういう試食的なスタンスの本もアリと言えばアリなんでしょうけど。

 今回の話の中で一番引っかかったのは、フランスに関しての話です。トリコロールとは、自由、平等、博愛やけど、この3つを同じくらい成り立たせるのは、実はあり得へん、というものです。特に平等を国家として成り立たせるという事は、これ即ち社会主義国家の根本的な考えである。ここから社会主義の話に話が進められていきます。

 僕は結構前に教えて、社会主義という記事で、日本って実は社会主義の国やん、みたいな話をさせて頂きました。今回の話でも、日本は一番成功した社会主義国家、という見解が話されており、それを実現させれ得たのは日本国民のメンタリティーがデカい、という話に結構納得させられました。

 トリコロールの話に戻しますが、まあそもそもが自由に平等、という時点で、実は既に論理破綻しているんですよね。全員が全員平等であるとは、全員が同じ収入で、全員が同じ労働時間を費やし、全員が同じ余暇を過ごす、という事です、詰まるところ。そこに自身の意思は入りません。自由が入り込む余地がないんですね。

 そこで戦後の日本は、所得倍増計画からの一億総中流化、国民皆保険で格差がそんなに顕在化されず、それこそ本当に日本国民は平等に暮らせてた訳です。ここが、日本が一番成功した社会主義国家と言わしめられた所以です。現在の日本の低調は、この時の考えがベットリついてるから、というのも一因かと思います。まあ、メンタリティーなんて簡単に変われないのが、辛いところですが。

 だからどうせい、と言われると、人と比べるのは止めた方がええんちゃいますか、と思うのです。出る杭は打たれるのはしょっちゅうですが、それでも出る杭になるべきです。日本の国民性というハンディキャップがあるからこそ、意志をしっかり持って自由を追い求めるべきです。

 なんちゃら主義がどう、という話は、あくまで考え方の話です。考え方に迎合するのではなく、考え方を知って自分の考え方を確立する。真の自由とはそこから始まるのではないでしょうか。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。


世界史のミカタ (祥伝社新書)

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