何者にもなれるという事

ハードカバー系
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 今日も来て頂きありがとうございます。

 ブライアン・R・リトル「ハーバードの心理学講義」読了しました。正直、あまり響きませんでした。人には色々な特性があって、それは変えられる、という話を、手を変え品を変え仰ってた、という印象しかありません。

 昔聞いた例えに、海で人が溺れていて、その人を助ける為には、イタリア人やったら「海に女性がいますよ」と言ったら飛び込む。日本人やったら「皆海に飛び込んでますよ」と言ったら飛び込む。みたいな話を聞いた事があります。(他に何人やったら、というのもあったんですが、残念ながら失念)

 そういう「皆と同じ事をやろう」という日本人的発想に、僕がもっと若かった頃、具体的に学生時代とその後の数年くらい、相当悩まされていました。今でこそ、自分は自分であって他人ではない、と思えるようになりましたが、折を見て自分自身と他の人の乖離に沈む事は、今でもあります。

 まあ単に、自分に自信が無いだけかもしれませんが、人がこうだからお前もこうせい、と自分で思ってしまうのは、自分の考えに制限をかけてまうよね、とは思います。やろうと思えばなんだって出来ますし、何者にもなれるものかと。

 とはいえ「こうなりたい」と思っていても、心の奥底では「いや、なれへんちゃうか」とも考えてる自分がいる訳で。それで苦しんでる人もいると思います。

 この点でまず思うのは、現在と未来のギャップに苦しむのは当然で、むしろその苦しみが未来への推進力になる、という事を認識するのが大事です。ここで、苦しいから元に戻ろうと思ってしまうと、結局現在の状態のままになってしまいます。

 また、未来の自分がリアルに想像できない、という事も考えられます。この点の対処法として、何度も自分の中で理想像を想像して刷り込ませる、というのも考えられますし、ロールモデルを探してその人と仲良くなる、なんてのも考えられます。

 まあ、自分を構築するのって楽しい作業やと僕は思いますし、どんどんオリジナルを作っていっていいんですよ。丸くなるな星になれ、というキャッチコピーは、言い得て妙やと思います。自分サクラダファミリア作っちゃいましょう。

 今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。


ハーバードの心理学講義

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